大阪市此花区にある「千鳥温泉」は、昔ながらの銭湯でありながら、高価な自転車をロビーで預かるサービスや、掃除を手伝う代わりにいつでも銭湯を利用できるという制度など、ユニークな取り組みを続けています。
銭湯を切り盛りする桂さんは、27年半にわたる会社員生活を経て、約9年前に千鳥温泉の運営を引き継ぎました。当初は夫婦で始めた銭湯経営でしたが、現在は全国から集まった掃除ボランティアが活動をサポート。ボランティア同士で友人関係や恋愛が生まれ、地域のイベントに参加するなど、そのつながりは銭湯の外にも広がっています。
会社員から銭湯経営者に転身した経緯や、千鳥温泉ならではの取り組み、銭湯を通して生まれたコミュニティなどについて、お話を伺いました。
27年半の会社員生活を経て、銭湯の主人に
――会社員を辞めて銭湯を始めたきっかけは何だったのでしょうか。
この銭湯を引き継いだのは、約9年前です。それまでは新卒で会社に入り、途中で2回転職しました。3社を合わせて27年半、会社員として働いていました。
千鳥温泉があるのは大阪市此花区梅香で、私が生まれ育った此花区西九条の隣町です。もともと銭湯が好きで、子どもを連れて行ったり、一人で出かけたりして、此花区内のいろいろな銭湯を利用していました。
そんなある日、「千鳥温泉が閉まりそうだ」という話を耳にしたんです。
千鳥温泉は、建物や設備を所有するオーナーから銭湯を借りて運営する形式で、運営する人は家賃や燃料費、水道代などを支払い、入浴料を収入として受け取る仕組みです。前の運営者は約5年間続けていましたが、2017年2月頃に8月末をもって辞めることを決め、オーナーは同年9月から銭湯を任せられる人を探しておられたのですが、7月になっても後任は決まっていなかったそうです。
その時点では、自分が銭湯をやるなんて考えてもいなかったんですが、「どんな条件なんだろう」と興味を持ち、銭湯の家賃や1日の来店人数、水道代、燃料代のほか、営業に必要な費用を聞いてみました。
実際に計算してみると、サラリーマン時代と同じくらいの収入は得られそうだと分かり、「頑張って、人気の銭湯にできたら…」と考え始めたことが、最初のきっかけです。
――実際に始めると決めるまで、迷いはなかったのでしょうか?
最初はなんとなく興味を持った程度でしたが、色々考えているうちに本気でやってみようかと思うようになり、まずは妻に相談しました。すると、『やったらいいやん。私も手伝うよ』と言ってくれたんです。
当時、妻は育児をしながらパートで働いていました。今もパートを続けながら、仕事が終わったあとに番台へ入ってくれることがあります。ただ、昼も夜も働いてもらうのは大変ですから、誰か他の人に手伝ってもらうことを考えなければと思っていました。
朝から深夜まで。想像どおり大変だった銭湯経営
――千鳥温泉の営業時間を教えてください。
以前は14時30分から24時まで営業していました。(現在は14時30分~22時30分まで)営業開始は14時30分ですが、その時間に来ればいいわけではありません。14時30分に営業が始められるようにお風呂を沸かしたり、店内を整えたりしなければならないのです。
営業が終わったあとには掃除もありますから、皆さんが想像する以上に、長時間の仕事です。
――会社員を辞めて銭湯を始めて、良かったと感じるのはどんなときですか。
全体的には、風呂屋を始めて良かったと思っています。会社員時代と違って上司がいないので、自分のペースで仕事ができますし、思いついたことを自分の判断で試せるのもおもしろいですね。
もちろん大変なこともありますが、自分で考えながら、やりたいことを形にできるところは
気に入っています。
自転車をロビーに置ける、サイクリストにやさしい銭湯
――サイクリングがお好きなのですか。
自転車で旅をするのが好きで、ランドナーや折り畳み自転車であちこち出かけています。自転車が好きな人の中には、高価な自転車に乗っている方も多く、自転車を外に置いたまま銭湯に入るのでは、盗難が心配でゆっくりお風呂を楽しめないだろうと思ったんです。
私自身、旅先で銭湯へ行った時に自転車を外に置いておくのが不安だったという経験があり、『折りたたみ自転車なので、畳んで中に置かせてもらってもいいですか』とお願いしたこともあるぐらいです。
そこで、千鳥温泉では、皆さんに安心して入浴してもらえるように、自転車を店内に置いてもらえるようにしました。2017年頃はSNSでも頻繁に発信していたので、コロナ禍以前には週に1人、2人ほど、自転車で来てくださる方がいました。
最近はあまり発信できていないので、また頑張らないといけませんね(笑)。
――サイクリストだけでなく、ランナーの方にも喜ばれそうですね。
番台では駄菓子も活用されてるだとか。
はい、子ども対象にくじ引きを実施していて当たったら景品として駄菓子をあげています。
銭湯へ来た子どもには帰る際に「くじ」を引いてもらいます。くじには1から110までの番号が書いてあり、あたりの数字を引くと駄菓子がもらえるという仕組みです。これは、ほかの銭湯での取り組みを参考にし、真似させてもらいました。
大人向けにも駄菓子を販売していた時期がありましたが、現在は子どもくじ引き用のみ用意しています。
「掃除を手伝えば毎日銭湯入り放題」という画期的な取り組み
――銭湯営業後に掃除をすると、無料で入浴できるボランティア制度があると伺いました。
基本的には月に10回、22時半から1時間ほど掃除をしてもらいます。アルバイトではなくボランティアなので、金銭的な報酬はありませんが、その代わりに、営業中の千鳥温泉のお風呂にいつでも無料で入れるという制度を作りました。
――掃除を手伝う代わりに無料で入浴できるという発想は、どのようにして生まれたのでしょうか。
銭湯の建物には中2階があり、そこに物置部屋と小さなキッチンがありました。銭湯を引き継いですぐに、「ここを人が住める部屋に改装して、住んでくれる人に掃除を手伝ってもらおう」と考えたんです。
開店当初は、妻と2人で掃除をしていました。夜12時頃に営業を終え、妻は男湯と女湯の脱衣所、ロビー、洗濯を担当し、私は男湯と女湯の浴室を掃除。一人で両方の浴室を掃除すると、合計で2時間ほどかかります。修理しなければならない場所があれば、さらに1~2時間必要ですから、本当に大変な作業です。
そうこうしているうちに部屋の改装が完了。部屋の写真と一緒に、「無料で住む場所を提供するので、掃除を手伝ってください」とX(当時はTwitter)に投稿したところ、半年ほど経って20代後半の男性から連絡があり、住み込みで掃除を手伝ってくれることになりました。
彼が来てくれてからは浴室を手分けして掃除できるようになり、劇的に楽になりました。
参加してくれているのは社会人やフリーターの方で、看護師として働きながら6~7年続けてくれている人もいます。ボランティア同士がいつの間にか交際を始めて、今では銭湯の上の部屋に一緒に住んでいるケースもあるんですよ。
全国から人が集まり、銭湯コミュニティが誕生
――その後、掃除ボランティアの人数はどのように増えていったのでしょうか。
もう1人手伝ってくれる人を探したいと思いましたが、中2階で人が住めるのは1部屋だけです。そこで、銭湯の上にあるファミリータイプのアパート7室のうち、1室を借りることにしました。
そこを借りる代わりに手伝ってくれる人も決まり、ボランティアは2人に。2人目の方は毎日掃除をするのが難しいということで、その分、家賃の差額を払ってもらっていました。この方が来てくれるようになってからは、妻は夜の掃除に来なくてもよくなりました。
その後も大家さんに空き部屋を教えてもらっては賃貸契約を結び、住み込みでボランティアしてくれる方の募集を続けました。そうこうしているうちに、3人、4人と増えていったんです。
――人のつながりによって、どんどん輪が広がっていったのですね。
そうですね。これまでに手伝ってくれた方は大阪の人だけでなく、北海道、秋田、栃木、東京、福井、三重、京都、兵庫、和歌山、岡山、広島、香川、徳島、福岡、熊本など、全国各地から来てくれました。会社員の方もいれば、別の場所でアルバイトをしている方もいます。
銭湯が閉まるのは夜遅く、終電に間に合わないこともあります。そのため、ボランティアに参加してもらうのは近隣に住んでいる人限定にしています。
1人暮らしで、「普段は家と職場を往復するだけ」という生活を送っている人も多いようですが、千鳥温泉の掃除ボランティアに参加すると、いろいろな人に出会い、友達ができるのが楽しいという声も聞こえてきます。
掃除だけでは終わらない。仕事の外に広がる仲間の輪
――ボランティア同士で交際に発展した方もいるとのこと。
職場以外にコミュニティができるのは素敵ですね。
千鳥温泉の定休日は火曜日。休みの日はみんなで近くの銭湯へ行ったり、富士山に登ったり、マラソンやモルックを楽しんだりしているようです。
モルックとはフィンランド発祥のスポーツで、2024年に函館で世界大会が開かれた時に、千鳥温泉ボランティアメンバー5~6人と彼らの友達とで、2チームを作って出場していました。
掃除自体はかなりしんどいはずですが、ここで新しい人と出会い、楽しい時間を過ごすことに価値を見出してくれている人もいるようです。
――桂さんご自身や奥様にとっても、若い方々との交流は良い刺激になりそうです。
私自身も、普段は若い方と話す機会がそれほどありませんから、全国から20代、30代の方が来てくれて、いろいろな話ができるのはとても嬉しいことです。妻も、いつも『ありがたいね』と言っています。
今、掃除を手伝ってくれている人は13~14人ほど。(他に番台の手伝いが3~4人)全員が月10回掃除すると、今度は人数が多すぎてしまいますので、長く続けてくれている人から徐々に掃除の回数を減らすようにしています。3年間以上続けてくれている人は現在5人で、その5人は月5回ほどの掃除で毎日銭湯に入ることができる、ということになっています。
目標はボランティア25人。無理なく続けられる仕組みをつくりたい
――人を集めることは一般的に苦労するものですが、千鳥温泉では逆のようですね。
理想を言えば、25人くらいまで増えてほしいと思っています。25人いれば、1人当たり月3〜4回の掃除で済みますから、1人ひとりの負担が減り、長く続けてもらいやすくなるのかなと。月10回の掃除は大変なものですが、それでも手伝ってくれている人、とりわけ長期にわたって継続的にサポートしてくれる方たちには、本当に感謝しています。
入浴料は現在600円をいただいていますから、掃除を手伝う代わりに毎日無料で入浴できることに、メリットを感じてくれている人もいるようです。
最近は、近所に住む26歳のルーマニア出身の女性も参加してくれるようになりました。お子さんがいるのですが、夜はパートナーに任せて来てくれています。時々、5歳のお子さんと一緒に銭湯を利用してくれることもあります。
年齢や国籍を問わず、いろいろな方が関わってくれるのは嬉しいですね。
銭湯での出会いが、地域のつながりへ
――今後、千鳥温泉をどのような場所にしていきたいですか。
掃除ボランティアをきっかけに知り合い、交際して結婚した夫婦がいます。アーティスト活動をしている女性がボランティアに来てくれた後、彼女のファンだった男性が手伝いに来てくれるようになりました。そこで2人は仲良くなり、お付き合いを始めたようです。
2人は現在、この近所でバーを経営しています。ほかのボランティアのメンバーも、月に何度かそのバーへ行ったり、一緒にイベントを開いたりしているそうです。町内会の夏祭りや桜祭りなどの企画・運営にも関わっていて、千鳥温泉のボランティアも手伝っています。
掃除そのものは大変だと思いますが、それでも続けてくれているのは、銭湯をきっかけにできたコミュニティや、人との出会いを楽しんでくれているからかもしれません。
千鳥温泉を「お風呂に入る場所」としてだけではなく、人と人が出会い、つながりが地域へ広がっていく場所にしていけたら嬉しいですね。
取材を終えて
会社員として27年半働いた後、偶然耳にした「銭湯が閉まりそう」という話をきっかけに千鳥温泉を引き継いだ桂さん。自転車をロビーへ持ち込めるようにしたり、子どもに無料で駄菓子を渡したりと、銭湯を楽しんでもらうための工夫が印象的でした。
なかでも興味深かったのが、掃除を手伝う代わりに無料で入浴できるボランティアの仕組み。千鳥温泉で生まれた小さなつながりは、少しずつ銭湯の外へと広がり、世代や職業、出身地を越えて人が出会い、その輪が広がっていく様子がとても素敵だと感じました。
ボランティアは継続的に募集されているそうです。お近くの方はぜひ問い合わせをしてみてはいかがでしょうか。
番組「ウェルチル 私と誰かにちょっといいこと」
関西テレビ放送
毎週金曜よる10時52分放送(関西ローカル)
次回もお楽しみに。