日本酒を好きになって早15年。成しえていないことがひとつだけある。熱燗をいまいち好きになれていないのだ。それなりにおいしいと思ったことならもちろんある。でも「それなり」止まりで、冷酒と燗酒のどちらを選ぶかと言われたら圧倒的に冷酒だ。いくら熱燗を呑んでも、冷酒で感じる「おいしい」に達したことがない。この冬こそ熱燗と仲良くなりたい。
東京・西荻窪の「善知鳥(うとう)」は1999年に東京・阿佐ヶ谷で創業し、「伝説の燗酒店」とも呼ばれるようになった。2015年に西荻窪に移転し、今なお人気を博している。熱燗と向き合うならこの店しかない、と何年も前から行く機会をうかがっていた。「この店の熱燗を一度でも呑んだら、もう冷酒が呑めなくなるくらいハマる」とまで聞いていたため、生半可な気持ちでは行けない、と二の足を踏んでいるうちに何年もたってしまったのだ。
「善知鳥」店主の今悟さんは熱燗の名手。正直に言うと、最初は「怖い人だったらどうしよう……」と思っていた。私は日本酒という飲み物が大好きだが、知識が豊富なわけではない。知識があるからといって酒が旨くなるわけでもないし、ことお酒ジャンルにおける「知識がない奴お断り」の空気感に反発したい気持ちもあるからだ。
私が日本酒を呑み始めた20代前半の頃、年上の日本酒愛飲家たちに連れて行ってもらったお店が大変おいしく、以来ズブズブと日本酒沼にのめり込んでいった。そのとき、同席していた人たちはよくわからない日本酒用語を自在に操り、呪文のような言葉で会話をしていた。彼らが何を言っているのかひとつもわからなかった。私も「日本酒が好き」と胸を張って言えるようになるためには、呪文を習得しなければならないのか……と思った。
日本酒を呑み始めてから最低限の知識は頭に入ったものの、磨きがどうの、酵母がどうの、とうんちくを語る気にはなれない。あの当時、「日本酒って敷居が高いんだな」と思った若かりし自分の姿に思いを馳せてしまうのだ。その敷居の高さに怖気づいてほしくない。そんなことで呑むのを躊躇するのはあまりにもったいないくらい、日本酒はおいしいのだから。
「善知鳥」の店内でそんなことをぽつりぽつりと話すと、『その通りです!!!』と今さんは手を叩いた。
日本酒には知識もルールもいらない!
今:日本酒について書かれた頭でっかちな文章が、ある意味で日本酒を素直に楽しむ邪魔になっているところがあるんじゃないかと思います。お酒の講師の方とか、専門家の方々が色々言ってらっしゃるから、日本酒にはたくさんの難しいルールがあると思われがち。でも、そういうのは一切いらないと思っています。僕はこれを25年以上言い続けているんですけど、記事や番組になるときはこういう発言はカットされちゃうんですよね。
―― 今さんのような熱燗の名手であり日本酒界のレジェンドがそう言ってくれるのはなんとも心強いです。
今:僕自身、敢えて知識は頭に入れていません。知識を入れたら、うんちくを言いたくなっちゃいそうだしね(笑)。だからもう、麹だとか削りだとか、そういう日本酒特有の知識にはなるべく触れないようにしているんです。それに、そもそも巷で言われている知識が、間違っていることもありますよ。
―― そうなんですか?
今:例えば、日本酒の口開け。日本酒は栓の抜きたてが一番うまいと信じ込んでいる人が多いんですよ。
―― え! 違うんですか!?
今:実は抜きたてよりも、開けて2、3日たったもののほうがおいしい。僕も店をやる前は口開けが好きだったんだけどね。店を始めてからは絶対に開いているほうがうまいと思うようになりました。
―― 驚きました。日本酒の口開けといえば、誰もがテンションの上がるものだと思っていたので……。おいしいと感じていましたが、単に「口開けだからおいしい」と思い込んでいただけなのかもしれません……。
今:口開けは、人間で言うところの寝起きなんですよ。まだ硬い感じ。空気に触れると酸化して悪くなるイメージがあるけど、日本酒は熟成しますから。
日本酒に空気を混ぜておいしくさせる
今さんの作る熱燗がおいしいと評判になった理由のひとつに、実はこの「日本酒を空気に触れさせる」というものがある。
今:後で実際にやってみせますけどね、例えば徳利を斜めに振ると酸味が出るんです。やりすぎるとお酢みたいになっちゃうけど。でも、斜めに何回振るのか、どれくらいの角度にするのか、とかは銘柄によって違うから、ご自身でやってみて体験するのが一番ですね。
―― 斜めに振ったときの空気の触れ方で、酸味が出るということですよね。
今:そうです。お燗の教室でこれを皆さんにやってもらうと、『斜めに振って味変できた!』と大喜びしてくれるんですよ。年齢関係なく楽しんでくれて。
「熱燗向きのお酒」なんてものはない!
―― ちなみに、熱燗に向いているお酒ってあるんですか?
今:そういうの、あると思うでしょう? 僕の考え方ではね、ないです(笑)。ないというか、どんなお酒でもおいしい熱燗にできます。開店当時からなんでも熱燗にしていたんですよ。一般的には熱燗にしないと言われる大吟醸でも何でもね。最初は『頭がおかしい』なんてしょっちゅう言われましたよ。
―― そんなことが。
今:お燗に向く酒、向かない酒、と分けるのはナンセンスです。日本酒の原料ってお米でしょう? お米は炊いて食べるものだから、「温かい=おいしい」ってこと。だから、なんでもお燗にしていいんですよ。
お酒の個性を伸ばす熱燗
―― お酒ごとに作り方は変わるんですよね。
今:そうですね。たぶん、日本の熱燗の99%くらいは錫(すず)のちろりが使われています。錫は優秀すぎて、失敗はしないんだけど、どれも同じ味になっちゃう。まずくはならないけど、全部65点の味になるイメージですね。僕はそれぞれの銘柄の個性を活かすために徳利を使っています。
―― 作り方が難しいお酒とかもあるんですか? 個性で言えば「この子は気難しい」みたいな……。
今:ありますね。傾向としては、生原酒は味が変わりづらいかなぁ。火入れしてあるお酒のほうが、すぐ味が変わってくれる。生のほうが変わりやすそうなのに意外でしょ?
―― 生原酒のほうが頑固者なんですね。
今:それも個性で面白いんですよね。僕が一番大事にしているのは、お酒それぞれの個性を潰さないこと。お酒って酒蔵の人たちの子どもだと思ってるんですよ。お客さんに出すのが「社会」。自分たちは、社会に出すまでの先生なんです。個性を潰すような教師には、僕自身が反発してきましたから(笑)
自分の「おいしい」を信じて
今さんはいわゆる「大将のオススメ」や「おまかせ」を受け付けていない。お客さん本人がおいしいと思うもの、好きだと思うそれぞれの感性を何よりも大事にしているからだ。
今:でも、“熱燗とはこういうもの”と凝り固まった考えを持っているお客さんが来て、『オススメください』と言ってきたら、黙ってスッと出しちゃう(笑)。特に、香り系のお酒をお燗にしたものはよそで扱っていなさそうだから、そういうのを出すんです。それを呑んだお客さんは『うまッ…!』って言う。でもかなり熱いから、『これ、何度ですか?』って聞かれてさ。
―― 今さんのお燗は、他のお店と温度が違うんですか?
今:たいていが55度前後だと思うんだけど、うちは82度~84度。『熱燗とは……』という知識を詰め込んでいらっしゃる方は、『そんなことしたらアルコール飛んじゃっておいしくないんじゃないですか?』って言いますね。でも、さっき僕が出したお酒を呑んで『うまい』って言いましたよね? だったらおいしいですよね? ってね。わはは(笑)。何も言わずに黙って出して『うまい』って、自分の口で言わせちゃうんですよ。頭で考えさせない。うまいかどうかは、呑んで感じた自分の舌を信じなきゃ。
自分の「好き」を信じて突き進むのは、自由であり、同時に勇気のいることだと思う。それが世間のそのときの主流と違っていても、その「好き」を貫けるかどうか。何よりも今さんこそが、25年前に「なんでもお燗にしておいしい」と信じて、どんなに否定されても折れずに続けてきたのだ。おいしいお酒を呑むにあたって、難しい知識なんてひとつもいらない。「おいしい」と感じたらから「おいしい」のだ。その当たり前なシンプルさを大事にしていきたい。
vol.2ではいよいよ、「善知鳥」の熱燗を飲み比べていく。
取材・文/朝井麻由美