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【熱中!ウェルチル】第1回:チョコレートに熱中! ショコラティエール 高木幸世さん

命を懸けて何かに熱中している人は、幸せで充実した日々を送っているといえます。そんな熱中ピープルに、人生を楽しむ秘訣をインタビューするこのコーナー。第1回目は“誰も見たことのないお菓子”を京都から発信する「RAU」(ラウ)のシェフショコラティエール、高木幸世さん(34)。斬新な商品の数々で人々を驚かせる彼女は、なぜチョコレートに「熱中!」したのか。お話をうかがいました。

パン職人だった亡き父の影響で料理好きに

――高木さんは兵庫県のご出身だとうかがいました。兵庫県のどちらでお生まれになったのですか。

高木幸世(以下、高木):丹波市です。自然に囲まれた、いいところでした。

――高木さんはショコラティエールとして活躍されていますが、もともとお菓子づくりはお好きだったのですか。

高木:好きでしたね。母が製菓のキットを持っていたので、それを借りてよくクッキーを焼いていました。集中すると没頭しちゃう性格で、まだ小学生なのに、つくっているうちに気がつけば深夜0時をまわっていた日もありましたね。

――お父様はパン職人だったそうですね。

高木:そうなんです。3年前(2021)に亡くなった父がパン職人をしていて、自家菜園でとれた野菜を具材に使ったり、自分で天然酵母を育てたり。母もずっと父のアシスタントをしていました。

父も母も本が好きで、研究熱心だったから、家のなかは料理に関する本や雑誌だらけ。トルコ料理、ギリシャ料理など、うちにある本だけで頭の中で世界旅行ができるくらい資料が揃っていたんです。そんな両親から受けた影響は大きいですね。

――高木さんご自身はお料理をつくっておられたのですか。

高木:していました。父や母が料理をつくっているのを見て面白そうだったので。家にある本を見ながら料理をつくっていましたね。「ちょっと塩が少ないな。足そう」とか、自分で味をコントロールするのが楽しくて。

――パン職人だったお父様はどのような方でしたか。

高木:とにかく、楽しそうに生きている人でした。樹を伐って、一人で庭に小屋を建てたり、粘土からお皿を焼いたり。興味を持ったものには先ずトライする。自分の想いを大切にする人だったんです。それに、とにかく本をたくさん読む人だったので、社会人になってからも私によく人生のアドバイスをくれました。あの頃、私は毎日が必死でした。生きている間に深い話をもっと訊いておけばよかった。それが心残りなんです。
ショコラティエール 高木幸世さん

「より厳しい方に」とフランス料理の道へ進む

――高木さんは高校を中退し、17歳で上京され、フレンチの店で修業をされたとうかがいました。なぜフレンチを選ばれたのでしょうか。

高木:料理人になりたい気持ちは中学時代からすでにありました。そして「やるのならば、1番しんどい道を選ぼう」と決めていたんです。フレンチは修業が厳しいと聞いていましたし、そんなシビアな環境のもとで自分を鍛えたかった。さらに、自分を磨くのならば、全国から人がやってきて、しのぎを削りあっている東京しかないと考えたんです。

――あえて自分を厳しい方へ追い込んでいたんですね。

高木:自分で自分を苦しめたい性格なんでしょうね。たとえば私、学生時代はバレーボールやバスケットボールなど球技が好きだったんです。反面、陸上競技が苦手で。「だったら陸上部に入って苦手を克服しよう」と、そういうふうに考えちゃうんですよ。苦手なこと、難しいことに挑みたい気持ちはずっとありました。その性格は現在も変わらないです。

――実際にフレンチレストランでは、どのような日々を送られましたか。

高木:確かに厳しかったし怒られましたが、それ以前にどうも厨房の皆さんからは「きっと職業訓練のために短期間だけこの店にいるんだろう」と思われていたらしく、まったく期待されていなかったんです。

そんななか私が毎日必死で仕事をしている姿を見て「あれ? この子、本気なんだ」とわかってもらえたようで、次第に料理人として扱ってもらえるようになってきました。そうやって働くうちにある日、デザートのセクションが空いたんです。「じゃあ、お菓子やってみる?」と、デザートに関わらせていただけるようになりました。

――プロがつくるデザートに触れてみて、どのような感想をいだきましたか。

高木:「こんなにレベルが高いお菓子があるんだ!」と驚きました。料理を提供するタイミングに合わせながらつくらなければならないし、たった1枚のハーブの葉の置き場所にも細心の注意を払わなければなりません。葉っぱの向き一つとっても、先輩が置くと、まるで印象が変わるんです。

なによりも、ちゃんとレシピ通りにやっているはずなのに、先輩がつくったお菓子はおいしくて、私のお菓子はおいしくならない。「いったいなにが違うの」「お菓子って、なんて難しいんだろう」と悩みましたね。そして難しいほうが燃えるタイプの私は、どんどんお菓子に惹かれていったんです。
ショコラティエール 高木幸世さん

チョコレートの自由さと難しさに惹かれた

――高木さんはその後、お菓子からさらにチョコレートへと特化します。どのようないきさつがあって、そうなったのですか。

高木:きっかけはフランスです。お菓子の本場を自分の目で確かめたくて、20歳の頃、1か月ほどフランスを旅しました。そこで、チョコレートが身近にある文化に衝撃を受けたんです。お客様が「このチョコレート、一粒ちょうだい」という感じで、気さくに楽しんでいる。チョコレートが暮らしに溶けこんでいるんです。「チョコレートを極めなければ、お菓子をつくっているとは言えないな」と痛感し、帰国して銀座のショコラトリーで働きはじめました。

――銀座のお店で、現在パティスリー&チョコレートブランド「RAU」のシェフパティシエをつとめておられる松下裕介さんと出会われたとうかがいました。ここではどのような仕事をされていたのですか。

高木:オーナーシェフがフランス人で、常時お店にはいなかったんです。そのため松下シェフと二人、ああでもない、こうでもないと試行錯誤を繰り返していました。そこで意気投合したし、じっくりとチョコレートに向き合った時間でしたね。その後、松下シェフのデセール専門店でも働くようになりました。

のちにフランス・パリで開催される「ワールド チョコレート マスターズʻ22」において松下裕介氏ともに「ワールドファイナル審査委員長団」に選出された

――高木さんは再び、フランスへ渡られます。なぜもう1度フランスへ行こうと思われたのでしょう。

高木:2度目の渡仏は前回と違い、働くことが目的でした。実際に自分で運営する“下見”という感覚でしたね。「本場ではどういう食材を使っていて、どのような環境下で仕事をしているのか」などを体感しながら確かめたかった。それでワーキングホリデーを利用して1年間、滞在したんです。

――フランスで現場を経験して、いかがでしたか。

高木:めちゃくちゃ自由だなって思いました。「こうしたほうがいいんじゃないか」から「やってみようぜ」と試すまでの時間が早い。なぜそんな自由な感覚があるかというと、自分がやりたいことがしっかりあるからなんです。だから、いろんなアイデアが湧いてくる。

働いていた店のシェフからは、「おいしいだけじゃだめだ。なんでこれをつくりたかったのか、誰にどんな想いを伝えたいのか、その質問に答えられないのならば、つくっても意味がないよ」と言われたんです。その言葉の意味をフランスで実感しましたね。気持ちがこもっていない商品って、お客さんにばれるんです。いい素材を使って、旧来のレシピ通りにつくれば、いい商品になるわけではないんですよね。

――深いですね。

高木:そうなんです。そこが難しいんですよ。チョコレートって、どのお店の商品もおいしい。コンビニで売られているチョコレートも、めっちゃおいしいんです。おいしいチョコレートが街に溢れているなか、私がつくったものを選んでもらうにはどうすればいいの? なぜこのチョコレートは突出してよく売れるのに、こっちは売れないの? チョコレートという小さな黒い粒でどのように個性を発揮し、どう伝えたらいいのか、ずっと悩んでいますね。
ショコラティエール 高木幸世さん

カカオ豆から自分で選んで個性を表現したい

――高木さんは帰国し、松下シェフとともに2018年、「RAU」を開かれます。どのようなお店にしたいと考えておられましたか。

高木:カカオ豆からチョコレート商品になるまで一貫して製造する「Bean to Bar(ビーントゥバー)」をやろうと決めていました。チョコレート菓子の多くは、チョコレートの塊を材料として仕入れ、溶かして調理します。でも、その方法だとどうしても自分がつくりたいお菓子にならない。ずっともどかしさを抱えていたんです。「甘みも硬さも豆から自分でコントロールしたい」という願望がずっとあったんですよね。
RAU
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――素材を探すためにさまざまな国を巡られ、コスタリカのカカオ豆に決められたとうかがいました。決め手はなんだったのでしょうか。

高木:1年半ほどビーントゥバーの開発期があって、その間にコスタリカの農家の方と出会いました。コスタリカは小さな国で、農産物の収穫量が少ないぶん、品質の向上に力を入れているんです。南米のなかでもとりわけ大きな農業研究機関があって、病気にかかりづらいカカオ豆をどうやったら育てられるかなどの課題に取り組んでいます。

加えて再生可能エネルギーだけで国をまわしているのも、RAUが入店しているGOOD NATURE STATIONの「身体と地球にやさしい」というコンセプトにも合っていると思ったんです。それらが決め手となりました。
ショコラティエール 高木幸世さん
――コスタリカのカカオ豆は、お味はどうなのでしょうか。

高木:ビーントゥバーのチョコレートは一般的にクセが強いイメージがありますが、コスタリカのカカオ豆はクリアでえぐみがない。おだしやお吸い物のように、すーーとやさしく身体に入ってゆく感覚があります。日本人が好む味ですね。コスタリカは火山地帯で、日本と土壌が似ているからなのかもしれません。
ショコラティエール 高木幸世さん

植物でつくるチョコレートの背景に父の死

――続いて高木さんは2021年に完全プランツベースとなるご自身のブランド「Sachi Takagi」を起ち上げられます。なぜチョコレートにはつきもののミルクやバター、クリームなどの乳製品ではなく植物だったのでしょう。

高木:きっかけは……父の生き方でした。ちょうどその頃、父という大切な人を失って、初めてちゃんと故郷について考えたんです。周囲に緑がたくさんあるなかで、朝食はいつも父が植物から育てた天然酵母のパンや、父が畑で栽培した野菜でした。それで「あれ、私、めちゃめちゃ植物に囲まれて育ってるな」って気がついて。

そして私は現在、カカオと向き合いながら仕事をしている。これ、偶然じゃないよね、植物が私の人生に強く絡んでるんだなって思ったんです。その想いをかたちにしたかったのが、ブランドの始まりでしたね。
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――高木さんにとってチョコレートはまさに自分の命に根をはった存在なのですね。高木さんがそこまでチョコレートに「熱中!」できるのは、なぜなのでしょう。

高木:追い続けて、終わりがないもの、だからでしょうね。カカオって何千年も前からある材料なのに、いまだに人々を魅了して、新しい味が生まれたり、新しい技術が見つかったりする。これって、すごいことだなと思うんです。

うちには「Asu」(アス)という商品があります。カカオは、ある時代はお祭りに用いられ、またある時代は貨幣として流通しました。時代とともに価値が変わるんです。では、明日は、将来はどんな価値を持つの? カカオ、チョコレートの価値が今後も変わるのならば、そのときにどんな意味が生まれるのかな、というワクワク感が私を魅了し続けるのかな、と思います。

それと同時に、今のカカオやチョコレートの価値が当たり前ではなくなる日を見越して、ただ消費するだけじゃない付きあい方を考えていかなきゃな、と思いますね。
ショコラティエール 高木幸世さん
高木幸世profile
1990年 兵庫県生まれ。パン職人の父の影響で食の世界を志し、17歳で東京のフレンチレストランでキャリアをスタート。パティスリーやショコラトリーなどで経験を積み、2014年に現在「RAU」のシェフパティシエを務める松下裕介のアシェットデセール専門店「CalmeElan」(カルムエラン)にてショコラティエールとして腕を振るう。
渡仏しパリの2つ星レストランでシェフパティシエールとして働くなか、2018年にRAUの起ち上げの誘いを受け帰国。ブランドコンセプトや、ショコラだけでなく商品全般の開発など多岐に渡り活躍する。
2021年には完全プランツベースのブランド「Sachi Takagi」をリリース。新しい菓子の形を追い求め、創作を行っている。

RAW Web site
https://rau-kyoto.com/

取材・撮影:吉村智樹